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11.21.2014

持続可能/縮小社会のあり方

2014年10月5日に京都で行った表記の講演のppt





















11.05.2014

貧富の差の更なる拡大ーどうするか?


日本ではさほど議論されていないようであるが、貧富の格差は急速に拡大しつつある。フランスの若き経済学者トマ・ピケテによれば、貧富の差が大きい状態は人類の歴史上、正常な状態で、20世紀中期にあった、格差が比較的小さく、中産階級が市民の多くを占めていた状態は例外なのだそうである。
人類の歴史をひもとけば、原始時代の少人数の集合体では、構成員の間の差はあまり大きくなかったが、社会が大きくなり、複雑になるに連れて、構成員の間に、権力・経済的な差が生じてきたことは明らかである。そして、絶対王制で頂点に達し、王とそれを取り巻く少数が、生きるのに四苦八苦する多数の上に君臨していた。いくつかの国では、その状態を革命によって崩壊させ、民衆の意思を政治・経済に反映できる議会制民主主義を打ち立てた。現在その民主主義が形骸化され、少数がまた多数を隷属させる状態に近づきつつある。
最近発表されたスイス銀行の「全世界の富に関する年次報告」(1)によれば、富の格差は世界的に増々拡大しているようである(2)。2008年のリーマンショック以来、世界の富は全体として増大している。この増大分の大部分は、すでに充分に富んでいる人間達の懐に入り、大多数にはあまり行き渡っていない。人口と富みの分布を付図に示す。内側が人口、外側が富の分布である。現在、上部10%(付図で内側の紫と緑)が全世界の富の87%を所有している。このことをよく考えてみてください。87%とはほとんど大部分といってもよい(富の部分の紫と緑);残り90%(大多数)の人々(人口の青と赤)にはほんの端金(富の青と赤)が行っているに過ぎない。トップ1%になると、48.2%を占有。ほとんど、全世界の富の半分をトップ1%の人達が独占していることになる。図で
                      
ご覧になるように、 紫色のトップ1% が、外側の紫色部分(1%の保有する富)が半分を占める。しかるに世界の人口の底辺50%(図では青)は、世界の富の1%弱を所有しているに過ぎない。これは大変な不公平であり、人類の大問題である。
日本では、アメリカその他の極端な状態にまで進展しておらず、まだ国民多数には実感がないのかもしれない。とはいえ、若者には日本の現社会に希望が持てず、国民の多数は収入が減少している。しかも現政権は、大企業優先、国民多数の利益無視の政策を次々に打ち出している。そのため、格差は徐々に開きつつある。奢侈な消費経済は高所得者層のために向上している一方、非正規雇用しか得られない、または正規雇用でも充分な収入がなく、日常生活に困窮する層が増えているようである。問題は、与党が多数なため、政府は、やりたい放題のことができることである。
どうするか。どうやってこの状態を抜け出し、より多くの人々が富を分ちあえる社会を作るか。
(1)民主主義を本来の形に再建:すなわち政治形態を市民多数の利益が実現できるようにする。これには、市民の多数が、自分達の置かれている状況を充分に認識し、それをより良い方向へ向けて行くにはどうしたらよいか、などを深く考えて、政治に参加する必要がある。実はこれが現在の最大の問題であろう。市民の多くがそういう自覚を持たず、権力・政権・大企業などのいわゆる1%が提供し、市民を幻惑するウソ、エンターテインメントなどに惑わされている。また、市民の意識を高めるに必要な情報を提供すべきメデアの大部分が、1%に押さえられていて、その役割を果たせない状況にある。多くの市民はすでに、苦境に喘いでいて、それから抜け出す、いや日々の生活をするのに懸命で、自分達の生活以外のことに意を用いる精神的余裕がない。もう一つ現実的な問題は、選挙制度である。
アメリカなどでは、宗教の影響が強く、宗教が教えると考えられる原理に固執する傾向が強く、それに基づいて、誤った概念が政治を支配している。それは、個人の自由のはき違えと、社会状況を無視した、社会福祉的政策の拒否が原因である。すなわち、貧乏になるのは、その個人の責任であり、そのために自分達の納める税をそうした人達のために使う必要は認めないという主張である。また例えば、国家による医療保険では、それを営む中央政府の干渉により個人の自由が奪われるとも主張される。もちろん、その上に、代表選出がカネに支配されている。これも、カネによる偽情報が真実を隠蔽し、カネを出す側に有利に働くように作用する。これも市民が、そうした偽情報に惑わされないようなちゃんとした意識を持たないことが基本的原因ではある。
こう考えると、本当の意味の民主主義を達成するのは、容易なことではない。おそらく、特殊な情況下や特殊な国では、実現可能ではあろうが、大方の国では今すぐとはいかない。
(2)正常な民主的政治が実現せずとも、ある程度の富の不平等分配を解消するような政策を少しづつでも実現させて行く:もっとも簡単なのは、高所得層への税率を高くすることである。現在富みの局在化に貢献している投資などの金融機関の規制を強化することも必要である。こうした政策を議会で成立させるように、民衆から圧力をかける。これは、国民全体でなくとも、10−20%ぐらいの市民が参加する組織的圧力をかけることができれば、可能であろう。
(3)革命:上の(2)のような民衆の圧力が功を奏して、改善が可能ならば、よいが、それでも体制側が動かないとするならば、民衆の不満は、暴力に訴える革命に発展するかもしれない。現在の状況では、すでに体制側は、大衆の反撥に備えて、軍事的対応を備えている場合が多いようである。ということは、革命は、体制側の暴力で鎮圧される可能性が高い。現在でもすでに反体制運動は、官憲の手で鎮圧されるケースが多い。いや、革命を起こす側が、現在のいわゆるテロ的な反抗の仕方により、体制側を撹乱させる可能性もあるかもしれない。
(4)少数による多数支配:1%が世界を支配し、99%はそれに隷属する。しかし、99%は、1%の提供するモノを消費できず、1%の闊歩する経済は、縮小する一方となる。1%は、その生活を維持するに必要な労働力を確保できればよいので、人類人口は、縮小する。それを積極的に推進する動きもどこかで行われているようである。この可能性はかなり高いように思われるが、なんとしても避ける努力が必要である。
(5)ではどうするか。多くの市民が考え、ある種の組織をつくり、議論を闘わせ、少しづつでも良い方向に進む努力が必要であろう。現在、憲法9条を守る会が、全国に7000程あるとのこと、これと同じように、草の根的組織を全国に作り、議論し、半年に1回位は集まって議論する、そして立法府や行政に提言する。また、高等教育での経済学などでは、今の時流にのった経済学を乗り越えた、根本的な経済の仕組みの変更への研究なども奨励する。 

(以上は、日刊ベリタ2014.10.29よりの転載)落合栄一郎