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3.13.2014

「国際女性の日」、バンクーバーで、日本軍「慰安婦」についての勉強会-参加者の感想

3月8日、国際女性の日、バンクーバー九条の会は、日本軍「慰安婦」問題についての勉強会の一環として、映像とディスカッションの会、第二回目を行いました。ピョン・ヨンジュ監督の映像シリーズ

『ナヌムの家』 (英題: The Murmuring) 1995/ 98min.
『ナヌムの家II』(英題: Habitual Sadness) 1997/ 56min.
『息づかい』(英題: My Own Breathing) 1999/ 77min.

のうち、今回は第三作の『息づかい』を観ました。

「シネマ・コリア」のウェブサイトにこの作品の詳しい紹介があります。
韓国の女性が初めて従軍慰安婦問題を正面から取り上げたドキュメンタリー作品。「韓国のドキュメンタリー映画史・インディペンデント映画史・女性映画史は『ナヌムの家』以前と以後に分けられる」との評もある記念碑的作品。続編に『ナヌムの家2』が、そしてシリーズ完結編に『息づかい』がある・・・続きはこのリンク

3月8日、バンクーバーでの勉強会。メンバーの自宅で。

参加者の皆さんからの感想を紹介します。

H.M. さん(女性)より。
ナヌムの家3 息づかい
フィリピンで、性暴力被害女性と支援者たちと踊るハルモニ。皆に花嫁衣装を着せて貰い、誕生日を祝って貰うハルモニ。お墓に埋めに故郷へと仲間に連れていってもらう亡くなったハルモニ。日本軍がさらいに来た場所で過去を語り、その時を思い出して岩陰に友達と隠れ、それをかくれんぼに変えてふざけ、泣き笑いするハルモニ。悲惨な慰安婦体験で記憶も失って、自分が誰だか分からないまま、妹だと信じる女性の誠心誠意の看病で健康回復したというハルモニ。慰安婦だった過去を本にしたものの、娘や孫には隠し通し、過去を語らなかったというハルモニ。でも実は、娘夫婦はこっそりその本を読んで、ずっと一緒にその傷に耐えてくれていた。。。
かつて悲惨な過去を孤独の中で耐えて生き抜いて来たハルモニは、今こうして、静かに愛され、過去の傷を分かち合い、その苦しみを少しずつ背負って貰って生きている。。。私もその様子を視聴者として見守りながら、思いを分かち合い、彼女達の心と体に刻まれた慰安婦の歴史を体の中に感じた映画でした。
T.I. さん(男性)より。
10万人と云われる元慰安婦達が恥ずかしさ故に、戦後50年近く沈黙を守ったと言うのは驚きで、その時代の韓国女性の純情さが、残念ながら加害者を利する結果になったように思います。
 おばあさん達が勇気を持って過去を語り始めたのは、日本政府にせめて一矢むくいようという怒りか?真実を後世に残したいという本能か? 多分、第3者が簡単には表現できないものだと思います。
 しかし遅れて作られた映画、最近建てられつつある銅像がおばあさん達の遺志を引き継ぐ事になると思います。
30代、女性の方より
女性達の話に、自分自身を照らし合わせて考える。私が少女だった頃、彼女達と同じ経験をしていたとしたら…。仮に生き延びていたとして、成人である今、どんな毎日を過ごしていただろう。もしも家族が居たら、または独りだったら。夜を朝を、どんな気持ちで迎えていたか。果たして私に、自分の身に起きたことを告白する勇気があっただろうか。作中で表される彼女達の生も死も重く、いつまでも頭を離れない。 
K.H.さん(男性)より
被害者たちが要求しているのは必ずしも「補償」や「謝罪」ではないと思うのですね。
つまり、村山談話や河野談話で表向きでは「政治決着」が着けられたと云われながらも首相や閣僚やその
他日本を代表するような立場の人びとの口からそれを否定する言説が次々に出されて来るわけです。
そこにメディアなどがどんどん悪乗りをして来ている。
これは消えかかった炎にわざわざ油を注いでいるのと全く同じことなのです。
これこそ日本の誇りそのものを辱めているのだと思います。
今に至っても彼女らを侮辱し傷つけるこのような言動は許し難く、日本の良心が問われているのではないでしょうか。
このことは韓国朝鮮のみならず日本とその未来を裏切っている重大な犯罪行為だと私は思います。 
S.N.さん(女性)より
性奴隷という犯罪を軍が積極的に組織し管理して進めた日本軍「慰安婦」制度。おばあさんたちの泣く顔、笑う顔、怒る顔-しわだらけの顔でも、すべての顔の向こうには少女の顔が見えた。一人一人が、女性だったら自分自身が、男性だったら自分の娘や姉妹がこのような犯罪の被害にあったら、と精いっぱいの想像力を働かせれば、この重すぎる歴史を背負った人類の課題は自明であるはずだ。奇しくも今年のアカデミー賞作品賞は米国の奴隷制を扱った映画 12 Years a Slaveだ。日本人は、この映画を観て他人事とは思わず、アジア隣国から連行して奴隷的労働をさせ、女性たちを性奴隷にした自国の歴史を直視するために自らこのような映画を作るべきだと思う。日本出身者としては日本を大事に思うだけに、現政権をはじめとする多くの日本人が歴史を否定する言動を続けていることを、恥ずかしく思い心を痛めている。
J.K. さん(男性)より。
このニュースをご覧ください。http://news.yahoo.com/video/ariel-castro-gets-100-years-224810813.html
当時は女性を性欲解消の道具としてもいいほど兵士の人権が重要だったでしょうか。そんなことをしてもしょうがなかった特殊な状況だったでしょうか。もし自身や家族に同じことにされても、「人なりの事情があったはずだからしょうがないことだ」と簡単に言えることでしょうか…。二十年以上たっても勉強会しかできないということでとても複雑な感想でした。-------ありがとうございます。
R.K.さん(女性)より。
人間そして女性としての尊厳を奪われ、その心と体の傷を社会の重圧により長年封印されてきた元従軍慰安婦。彼女たちの40年以上に渡る沈黙は、性犯罪と性差別の酷さを語っています。国際社会において名誉ある地位を占めようとする日本の責任は、日本軍が彼女たちに与えた苦しみ、つまり彼女らを監禁した上、暴力をふるい性行為を強要したという事実を認め、その責任を真摯に受け止め、謝罪し反省することなのではないでしょうか。
E.O. さん(男性)より。
元慰安婦の語る赤裸々な話は、耳を覆いたくなる。こうしたことに軍人が嬉々として参加するのを、どう理解したらよいのか(良心の呵責を感じた軍人もいたとのことだが)。それを時の権威者が公認していたことには、政府・関係者とも深甚の謝意を表すべきは論をまたないが、戦場に於いては軍人を常規を逸する行為に駆り立てるという事実も認識し、従軍兵の立場(人間性の喪失)からでも、戦争は許されないことを認識すべきでしょう。
高校生、女性の方より。
私はこの映画をみて、自分に罪悪感を感じました。なぜなら、映画の中で皆が日本に謝罪を求めていたからです。20年たった今でも日本はまだ正式に謝罪をしていません。謝罪どころか開き直っている気がします。私は慰安婦の事は映画を観るまであまり知りませんでした。これを機に今後日本がどうこの問題に対応したらいいか、自分なりに考えてみようと思います。
S.L.さん(女性)より。
自分の名前を知らないハルモニ。家族が何人いたのか思い出せないハルモニ。心の底から笑ったり楽しいと感じたことのないハルモニ。「生きる」ことが辛いハルモニ。いつも孤独なハルモニ。彼女らにしか語ることができない「性奴隷」の実態について聞いて感じること抜きに過去そして現在も続いている植民地、戦争、貧困による女性への人権侵害や暴力は理解できないし根絶できない。あらためて日本政府への謝罪を求めるとともに、これからも勇気をもって「過去」と向き合う努力をしていきたい。

★★★

最後に、日本軍「慰安婦」問題について勉強したい人に優れたウェブサイトを紹介します。

Fight for Justice - 忘却への抵抗・未来の責任
http://fightforjustice.info/

特に日本で、歴史をねじまげたい人たちにより流布されている数々のウソを見破るためにも、このQ&Aコーナーは大切です。