Languages

For English articles, click HERE. 日本語投稿はこちらをどうぞ。点击此处观看中文稿件

7.09.2012

脱原発派、国会で拡大中

国会内で「脱原発勢力」が拡大している。民主党に離党届を提出した小沢一郎
元代表ら49人が新党結成に向けて、消費税増税反対とともに、「脱原発」を政策
の旗印に掲げたためで、脱原発依存への姿勢が後退する野田政権に対する国会の
追及は強まりそうだ。
小沢元代表は2日に離党届を提出した後、新党の政策に関し「消費税増税先行
への反対は柱。原発の問題も大きな国民の関心事だ」と表明。「脱原発」を打ち
出し、首相との違いを鮮明にした。
元代表は、首相官邸前で毎週金曜の夜に行われる抗議活動について「政治が行
動しなければ、自分たちが行動するという(国民の)意識変化が大きく出てきた
のではないか。この意識が一番遅れているのが、永田町と霞が関だ」との見方も
示している。
元代表は6月5日、関西電力大飯原発再稼働をめぐり、政府に慎重な判断を求
める民主党有志議員が官邸に提出した117人分の署名に名を連ねた、新党参加者
のうち、署名者は元代表を含め、37人に上る見通し。次期衆院選をにらんで脱原
発の訴えを強める構えだ。(中略)
元代表は4日、社民党の又市征治副党首と国会内で会談し、消費税増税反対に加
え、脱原発でも連携を呼び掛けた。新党結成が国会の脱原発勢力を勢いづかせる
可能性はある。(7/7東京新聞より抜粋)

6.10.2012

憲法審査会ー最近の動き

衆議院憲法審査会の5月末ごろの審議の様子が、 http://pub.ne.jp/bbgmgt/?daily_id=20120606のサイトで報告されています。先にお知らせした「自民党の憲法改革案」を参照して、この動きをどう我々の運動に反映していったらよいか、ご検討ください。

5.16.2012

「原爆と原発−放射能は生命と相容れない」(本)


表題の小冊子(表紙は下に)が出版された(落合栄一郎著、鹿砦社,2012年5月、762円)。これは、著者が、昨年バンクーバーで行った講演に基づいている。日本人が対象ではないので、日本では常識になっているような事柄も、概要を説明したので、これ1冊で、「原爆と原発」問題の概要が掴めるように配慮されている。しかし、この本の主題は、「放射線というものが、いかに危険なものか、どうして危険なのか」という点に関して、科学的・原理的に考えてみるということにあり、現在様々な仕方で行われている放射線による人体の健康への影響を根本的に見直してみた。そして導かれた結論が、「放射線は本来生命とは相容れない」ということである。
現在福島原発の事故は収拾とはほど遠く、事故の現状ですら、ほとんど把握されていない。破壊が凄まじく、高い放射線量のため、人間が近づくことも難しく、調査は、精査をするには不完全なロボット頼りである。なんとかこのような現状を少しでも改善しようという努力はなされているようであり、それに携わる労働者に放射線被害がすでに起っており、死者もでている。また4号機は、現在も非常に危険な状態にあり、強い余震で、壊滅的な放射性物質放出を招きかねない。このような現状にもかかわらず、政府は終息宣言を出し、充分に科学的、技術的な検討もせずに大飯原発の再稼働を画策している。原発なしでも、充分に電力需要に応えられる事実には目を塞ぎ、電力不足を喧伝している。
一方、福島地元での避難区域の縮小などを政府が進める一方、放射能被害と考えられる様々な健康障害が、地元住民ばかりでなく、関東地方でも発生しているにも拘らず、そのような事実には政府は目をつぶっているし、したがって、組織的な充分な健康調査も行われていない。また、そもそもこの原因を作った企業に対する刑事責任の追求のかまえすらない。
こうした政治経済的、医療的側面は、日本国政府の政治姿勢が根本問題であるが、その前に、原発にしろ、原爆にしろ、根本的に生命(人間を含めた全ての動植物)とは、相容れないということを、この本では科学的見地から議論している。ということは、原爆も原発も、いのちを破壊するものであって、日本国とか,東電とかいうレベル以上の、全人類の問題である。原爆はいうに及ばず、原発を維持、開発を進めていけば、地球上の全生命にその破壊力がおよび、大げさに言えば、生命を持つ、このすばらしい地球という天体を生命が住めないものにしてしまう可能性がある。現在ある核兵器、原発を今すぐに廃棄しても、それに含まれる放射性廃棄物を生命に悪影響を与えないように処理するのは、非常に困難である。こんなものを人類が作り出してしまったのは、非常に残念なことであるが、今、この機会に少なくとも日本の原発は全廃し、原爆の被害者の立場も含めて、地球上からの原爆と原発の廃棄に、日本は指導的役割を果たせるであろう。こうしてこそ、原爆と原発の犠牲者に報いることができる。

4.27.2012

自民党の憲法改定案

自民党の憲法改定案の全文が、現憲法と対照して、http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdfで見られます。是非ご覧になってください。”天皇を元首”と規定するほか、様々な基本的人権も、公益と公の秩序に反するという条件で、かなり制約されるように思います。また,平和条文に関しては、基本的には”自衛権”を主張しますが、それに付随して、事実上の軍隊(国防軍と称する;通常どこの国の軍隊も、国防省に属します)に関する条文も追加されています。これに関して、法律に詳しい方を交えて検討する必要があるでしょう。

3.10.2012

工事ミスに偶然救われた福島原発大惨事

東日本大震災、福島原発事故から、1年が経ちました。まだ震災からの復興は、前途多難のようです。福島原発事故について、新たな戦慄すべき事実が最近わかったようです。それは、最も心配された4号基の暴発が、偶然に工事ミスで、回避されたということです。下に、朝日新聞の記事をはりつけます。

4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
2012年3月8日03時00分(朝日)

東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。
 4号機は一昨年11月から定期点検に入り、シュラウドと呼ばれる炉内の大型構造物の取り換え工事をしていた。1978年の営業運転開始以来初めての大工事だった。
 工事は、原子炉真上の原子炉ウェルと呼ばれる部分と、放射能をおびた機器を水中に仮置きするDSピットに計1440立方メートルの水を張り、進められた。ふだんは水がない部分だ。
 無用の被曝(ひばく)を避けるため、シュラウドは水の中で切断し、DSピットまで水中を移動。その後、次の作業のため、3月7日までにDSピット側に仕切りを立て、原子炉ウェルの水を抜く計画だった。
 ところが、シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。
 4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。
 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。
 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。
東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。

2.27.2012

憲法改悪の動き活発化

以下は最近の新聞記事です。

”天皇は元首、自衛軍保持 自民が憲法改正原案
2012年2月27日 22時04分
 自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)がまとめた憲法改正原案が27日、分かった。現行憲法が「象徴」とする天皇を「元首」と明記し、国旗 国歌の尊重規定を新設。2005年に策定した党新憲法草案を踏襲し「自衛軍」の保持を盛り込むなど、保守層を意識した内容が特徴だ。
 原案は28日の推進本部役員会で決定する。党執行部はさらに議論を加え60年前にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日までに新たな憲法改正案を策定し、今国会に提出する構えだ。ただ成立は見通せない。
(共同)”

”自民党の政権構想会議(議長・谷垣総裁)は1日、次期衆院選政権公約(マニフェスト)の骨格となる「党の基本姿勢」(谷垣ドクトリン)を発表した。 〈1〉国民に誠実に真実を語り、勇気を持って決断する政治〈2〉憲法を改正し、日本らしい日本を確立する〈3〉自助を基本とし、共助・公助はそれを補うとの考えで、社会政策、経済政策を行う――など9項目を盛り込んでいる。(2012年3月1日22時44分 読売新聞)”

自民党ばかりでなく、日本のあらゆる改憲派の憲法改悪への動きが最近活発化しています。国会の憲法改正審議会も動き出したし、大阪市長の橋下氏は、中央政治の混迷を良いことに「維新」の会なるものを立ち上げ、それに付和雷同する日本国民が70%近くもいるそうであり、それを背景にしてかどうかは知らないが、「憲法9条改定」を公約に政権獲得に動き出そうとしている。彼は「憲法9条を変えなければ、日本には住みたくない」とまで公言している。日本の同志と手をつなぎ、この動きを食い止める努力をしなければなりません。

1.02.2012

放射線と生命は本来相容れない

震災に伴う原発事故で、「原発の安全神話」は完全に覆されたが、今度は,その事故に伴う放射性物質拡散による危険性を少なく見せるために「放射線安全神話」を、政府も関係機関も国民に納得させようと懸命なようである。その有力な、ほとんど唯一の根拠はICRPの制作による基準である。それを、多くの人は、科学的根拠として、金科玉条の如く信じていたようであるが、最近のNHKの報道によって、それを作った人達自身が、科学的根拠を否定する発言をしていることがわかり、とくに低線量内部被曝に関しての彼らの基準値的なるものはなんら科学的根拠のないものであったことが暴露された。
 筆者は、かねてより低線量放射線による内部被曝について、ある程度は科学的な根拠に基づいて、ICRPなどの考え方に疑問を呈してきた(日刊ベリタ2011.04.25、2011.05.04、2011.06.18、2011.06.27、2011.06.30)。このような考え方をさらに押し進めていくと、(高エネルギー)放射線は、本来生命とは相容れないことが見えてくる。その科学的根拠を、最近当地で講演(*)したので,その概略をここに報告する。ここから、見えてくることは(高エネルギー)放射線は、生命に限らず、地球上のあらゆる物質(化合物)に破壊的に作用するのであり、非常に難しい綱渡り的な物質系である生命に、それが顕著に現れるが、その他の物質にも破壊的に作用する。
原爆も原発も、原子核分裂反応を利用する。一方我々の生命を始め、地球上のあらゆる物質は化合物とその反応で成り立っている。化合物の世界では、原子がついたり離れたりするが、原子を構成する原子核は変化せずに、その回りを回っている電子の動きのみによっている。この動きに作用する力は、いわゆる「電磁力」で、比較的弱い力である(プラスとマイナス電荷が引き合う力や磁石が引き合う力)。その力に基づく化学反応に伴うエネルギー変化は、物質を構成する原子や分子当たりにすると、1-10 eV(エレクトロンボルト)の程度である(エレクトロンボルトなどのエネルギー単位は下の注で説明する)。これよりかなり大きいエネルギーをもった粒子が、こうした原子や分子に衝突すると、様々な現象が起るが,分子から電子を蹴り出したり、(原子と原子を結ぶ)結合を切ったりする。ということは、分子を破壊する。
さて、原子核分裂に代表される原子核レベルに作用する力は、「強い力」といわれるもので、化学的世界で働く「電磁力」よりも桁違いに強い。そのために、核反応に伴うエネルギー変化は、化学反応のエネルギーの100万倍以上大きい。放射性物質が放射性粒子(α、β、γなど)を放出する反応は、原子核に変化が起きる(不安定な原子核が安定な原子核になろうとするため)現象で、この変化に伴うエネルギーが放射線粒子に担われ、それらは、KeVからMeV(K=キロ(千倍)、M=メガ(百万倍))程度である。すなわち、化学反応に伴うエネルギ−変化の数千倍から百万倍ほど大きい。
放射線の影響(被曝量)を評価するのに、シーベルト(Sv)が用いられている。これは、放射線の生体に与えるエネルギー値で表される;すなわちβ線、ガンマ線では、J/kg(J=ジュール)、α線では、この値の20倍の効果があるとされている。この表現での問題は、例えば、次のような例によってわかる。100Svという被曝量はとてつもなく強いもので、100%が死亡する。しかし、エネルギ−—値から評価すると、(これがβ、γ線とする)100J/kgの被曝で、体温をわずか0.024度上げるだけである。こんな体温上昇で人間は死にはしない。しかし同じエネルギー量でも放射線ならば、100%確実に死ぬ。どこかがおかしい。しかも、体内に入った放射性物質による内部被曝では、外部被曝と同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは無意味である。というのは、内部被曝の場合放射線の影響する範囲は、1kgぐらいの広範囲に及ぶことはないからである。
さて、今度は、放射性物質が、生体内に入り込んで定着し、生体を構成する化合物にどんな作用を及ぼすであろうかを考えてみたい(なお、こうした放射性物質がある場所に定着し、どのぐらい長く居続けるかは、様々な因子に依存するので一概にいうことは出来ない)。放射性物質からは、次々に放射性粒子が出て来る。それらは、回りにある分子に衝突する機会があるだろう。すると何が起るか。電子を蹴り出したり、結合を壊したりする。しかし、これでエネルギーは尽きないので、次々と他の分子とも衝突する。そして蹴り出された電子はさらにβ線と同じ作用をする。どの分子が影響を受けるかは、確率的でわからない。生体の分子には、水、タンパク質、脂質、DNAなど様々なものがある。DNAにあたって、その一部を破壊すると、いずれはガンに発展する可能性がある。生体にはある程度の修復機能があるので、破壊された部分を修復することはある程度できる。これはある程度であり、大幅な破壊には対処できない。水に放射線があたると、水分子を壊して、水酸化ラジカルなどの危険分子を作る。これがDNAを始めとする様々な分子を壊す。こうした反応は、確率的に生体内のどこでも起るので、放射線の内部被曝では、ガンのみでなく、成長しつつある胎児にも、免疫機構などにも起こりうるので、奇形児誕生、病弱(免疫機構損失による)、早期老化現象など様々なことが起こりうる。
被曝量を体全体へのエネルギー(J)で表現するやり方では、こうした放射線の重大な影響が見えて来ないし、とくに内部被曝問題によく対応できない。放射線の脅威をもう一つ例証してみよう。最近、オゾン層が少なくなって、太陽光中に紫外線が多くなった。海水浴などで、紫外線を遮断または散乱させるサンスクリーンを体にぬることが推奨されている。どうしてか。紫外線が皮膚を老化させ(破壊)たり、皮膚ガンを発生させる可能性を皆が知っているからである。紫外線は、化学エネルギーより一桁ぐらい大きいだけであるが、こうした危険性がある。α、β、γ線などの放射線は紫外線の数千倍から数万倍以上の強さをもっている。そのような放射線を持続的に出すものが体内には入ったらどうなるか考えてみて頂きたい。それが、放射線による内部被曝である。
高エネルギー放射線は、化学世界である地球上のあらゆる物質に破壊的作用を及ぼす。その影響は、非常に難しい綱渡り的な生き方をしている生命に顕著に現れるが、そればかりではない。あらゆるところで起きているのだが、顕著でないので、気がつかないだけである。たとえば、原子炉を形作る分厚い鋼鉄も、放射線の影響(高温、高圧の影響もあるが)を受け、次第に脆弱化していく。原子力燃料が燃え尽きた後も、主成分であるウラン−238(他にもあるが)は厳然として残っており、数十億年にわたりα線を出し続ける。このようなものを入れる容器は何であれ、化学物質である限り、放射線によって長年にわたって傷つけられるため、いずれは破壊される。これが、核燃料廃棄処分が、原理的に安全に出来ない根本理由である。
このように、化学世界とは相容れない高エネルギー放射線を出す物質を人間は、故意に原爆と原発というやり方で、地球世界に導入しているのである。もちろん、すでに天然に放射性物質が地球上に存在することは事実で、これは避けようもないし、そして生物は、それをなんとか躱して生きてきたが、これ以上人為的に増やすことは、人類や地球上の生命にとって自殺行為である。なお、この議論の詳細は別な形で発表する。

[注:エネルギーの国際スタンダード(SI)は、ジュール(J)で、現在でも広く用いられているカロリー(cal)とは, 1 cal = 4.184 Jの関係にある。1Jは約4分の1カロリーである。これは通常の目に見えるレベルのエネルギー表示に使われる。電力では、出力の単位として、ワット(W)が使われる。これは1秒間に1J(J/s)であり、エネルギーはワット時(ワットに時間をかけるとエネルギーになる)。さて、放射線の問題では、放射線粒子と分子の衝突という分子・原子レベルで起るので、放射線粒子、分子・原子1個あたりのエネルギーを考えなければならない。これは非常に小さいものである。というのは、例えば,水1gは、水の分子の数にすると、約3 x (E22) 個という膨大な数である。(E22)は1のあとにゼロが22個つく数)ということは、水分子1個はべらぼうに小さな軽いものである。さて、このレベルのエネルギー値として通常使われるのが、エレクトロンボルト(eV)で、1 eV = 1.6 x (E-19) Jである。(E-19)は10000000000000000000分の1というべらぼうに小さい数。こうした日常とはかけ離れた非常に大きいまたは非常に小さい数を考慮する必要があるが、これが、科学を通常扱わない人には難しいのではないかと思う。Sv値の問題は、放射線がこの分子・原子レベルの問題なのに、通常の生活レベルのJで表現したこと、したがって、放射線の生命への影響の根本を考慮せずに定義されていることである]
(日刊ベリタ2011.12.31より転載)

(*)E.Ochiai "Nuclear Weapons and Nuclear Power Plants - their inevitable consequence is dispersal of radioactive material" at World Federalists Mtg on Nov. 17, 2011, and at Museum of Anthropology, University of British Columbia, on Nov. 26, 2011