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9.10.2010

朝日新聞サイトより 喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間

朝日新聞ウェブサイトより。

http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/new.html

【放送】喧騒と沈黙のはざまで 金賢姫訪日の不思議な4日間

2010年9月10日
筆者 桜井 均
 7月20日、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯として韓国で死刑判決をうけ、のちに恩赦された金賢姫(キムヒョンヒ)が、超法規的な上陸特別許可で日本を訪れた。拉致被害者家族と面談するためだ。金賢姫が離日する23日までの4日間、この国の中に“不思議”な時間が流れた。メディアの喧騒ぶりからその後の極端なだんまり―その間に「拉致事件」に関する日本人の独特な感受性を垣間見ることができた。

 テレビに登場するほとんどすべての論者が、紋切り型の踏み絵を踏むところから話を始める。まず北朝鮮に対する非難を人道上の立場から表明し、続いて、日本政府の無策ぶりを非難する。だが一様に「今度の来日は、いろいろ問題はあるが拉致事件の風化を防ぐ効果はあった」と締めくくる。こうした常套句を集団的に使いながら、誰もその地点にとどまるようには見えない。これを風化というのではないか。“不思議”というのは、そのことである。

 この疑問を抱いて、私は、4日分のテレビの収録画像(NHK「ニュース7」「ニュース9」、日テレ「スッキリ!!」「ズームイン!!SUPER」、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」「ニュース23クロス」、フジ「スーパーニュース」「とくダネ!」、テレ朝「スーパーモーニング」「報道ステーション」など)を時系列で視聴してみた。

◆宙に浮いた日朝平壌宣言

 しかし、この比較に意味がないことはすぐに分かった。それぞれの保存映像の違いはあっても、情報源が同じでは、局ごとの主張を比べようがないのだ。

 金賢姫の移動を逐一追跡することを仕事と決め込んだ各テレビ局のリポーターたちは、空から地上から生中継でまくしたてる。中継が伝えるのは内容ではなく“臨場感”だけ。過剰な警備と贅沢な遊覧飛行を非難するために、メディアは車50台、ヘリ7機を雇った。そこへ中井洽拉致問題担当相からうるさくて話もできなかったと逆ねじを食らった。これはもう真面目な話とはいえない。

 しかし、耳を澄ませば、微妙な言い回しの行間から大事な言葉が聴こえてきた。以下、4日の間に発せられた関係者の発言を拾い出し、拉致問題と不可分の関係にある2002年9月17日の「日朝平ピョンヤン壌宣言」と比べながら読みこんでみた。

 「(日朝)双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。(双方は)この地域の関係各国の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした」という文言は、長いあいだ断絶してきた日朝両国の国交正常化が、北東アジア地域の平和と安定につながるという見取図を表現していた。

 しかし、当時日本が認定した拉致被害者13人のうち、北朝鮮は、1人は入国せずとしたが、リストにはなかった1人を含む13人の拉致を認め、そのうち5人が生存、8人が死亡という衝撃的な情報がもたらされると、状況は一転。拉致問題の解決抜きに国交正常化などありえないという論調が大勢を占めるようになった。以後「平壌宣言」は宙に浮いてしまった。

 この4日間、誰一人としてそこに立ち返ることはなかった。

 もとより、「平壌宣言」とても、理念先行で行われたわけではなかった。前年の9・11事件以降、アメリカは「対テロ戦争」に突入。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領は北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と名指し、北朝鮮は態度を硬化させた。この年の秋、アメリカはイラク戦争の準備に着手していた。小泉首相の電撃的な訪朝は、日米関係を基軸としつつ、朝鮮半島の危険除去をねらった対応型政治でもあった。

 とはいえ、日本側は共同宣言の中に、拉致問題と工作船問題に対する北朝鮮側からの謝罪を盛り込むことに成功し、加えて大量破壊兵器の拡散を抑える枠組み(核不拡散条約の遵守)を設定することもできた。過去の植民地支配に対する補償についても、日韓基本条約(1965年)とレベルを合わせ、強制動員という“日本による大規模拉致事件”の前面化を回避した。

 拉致問題はこうした大きな文脈の中に位置づけられるはずであった。しかし、日朝の認識の隔たりは、二国間の友好を前提として北東アジアの平和と安定に向かうという道を完全に閉ざしてしまった。

 今回の金賢姫の来訪は、この閉塞をさらに悪化させるのか、それとも何らかの突破口を開くことにつながるのか、注目された。しかし、残念ながら以上のようないきさつはあまり語られることなく、4日間は喧騒のうちに過ぎていった。

◆日本・北朝鮮双方に歴史の犠牲者

 それでも、メディアのノイズの中に、拉致被害者の発話時における真実、声の変調を聞き分けることはできた。

 「平壌宣言」の日、横田めぐみさんの死を知らされた母早紀江さんは、記者会見で「(私たちの運動が)大きな政治の問題であることを暴露しました。このことはほんとに日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、ほんとに、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたと思います。私はまだめぐみが生きていると信じて闘ってまいります」と語った。

 このときの早紀江さんは、長い政治の空白のためにめぐみさんたちが、冷戦体制下で激しく敵対する日朝の谷間、歴史の大きなうねりに呑み込まれた「犠牲者」だ、という認識を語っていた。

 その後、めぐみさんの生存の可能性が伝えられ、遺骨のDNA鑑定の結果、めぐみさんのものといえないことが分かると、生還への期待が一気に高まった。大きな転機であった。しかし、いまだに生存の確認には至っていない。そこに金賢姫がやってきた。

 金賢姫が来日する前日、7月19日のTBS「ニュース23クロス」は、早紀江さんのつぶやきをそのまま伝えていた。「いま聞いてもね、昔の話だから何が分かるってこともないけど……、見えない部分が出てくるわけだから、知ってかえって悲しくなるのかねえ。でも現実を知るしかないしね……」

 スタジオのキャスターは、横田夫妻はめぐみさんについて過去の情報が入るたびに、そのとき自分たちはどこに転勤し、どう暮らしていただろうと、自らの生活に重ね合わせてきた、とコメントした。空白の年表を作っているというのだ。

 「現実を知ること」によって空白を埋め、状況を変えていこうとするのは、歴史に対する正しい態度である。少なくとも横田早紀江さんのつぶやきに、政治と歴史を直視しようという萌芽のようなものを見分けることができる。

 7月22日、早紀江さんは前日の金賢姫との対面の様子を記者会見で語った。日テレの「スッキリ!!」はその肉声を未編集に近い状態で放送した。「一番感動したのは、両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけてぱたっとお会いしたときになんともいえない懐かしさというか、表現のしようのない懐かしさを感じました(傍点筆者)」。この発言は注目に値する。

 金賢姫は田口八重子さんから日本語を学び、その後、大韓航空機爆破事件を起こしたとされるが、めぐみさんは金賢姫の同期の工作員金淑姫に日本語を教えていたというのである。要するに、田口さんもめぐみさんも北の工作員育成の一端を担わされていたことになる。

 こうした中で、横田早紀江さんは、娘より2歳上の金賢姫との対面で体感しえたことを、個人のレベルを超えて、娘も金賢姫も北朝鮮の厳しい“強制”の中で生きていたことを確認しあった、と語ったのだ。それが「両方ともが同じ中心点にある、同じものからのいろんな圧力とか指令によってものすごい人生を歩んできた」という表現になったのである。しかし、他の放送局は、めぐみさんが猫を飼っていたとか、皆を笑わせていたとかという家族感情に訴える情報を伝えることが多かった。

 NHKは、編集によって肝心の部分を落として、「(互いに)ものすごい人生を歩んできたわけですが、それでも時間をかけて会った時になんともいえないなつかしさというか」という部分だけを放送した。早紀江さんの真意を聞き落としたのか、切り落としたのか分からないが、これでは政治のリアリズム、冷戦の遺構の中に今も生きる人々の現実は伝わってこない。

◆解凍できない冷戦構造

 テレ朝「スーパーモーニング」では、「救う会」会長の西岡力東京基督教大学教授が「金賢姫は、韓国で拉致被害者の情報を証言したために、北にいる家族が収容所に送られた可能性がある。金元工作員の家族についても心配している。これは北朝鮮の体制の罪であり、めぐみさんも工作員(金淑姫)の教師としてテロに加担させられた。だから、金賢姫もめぐみさんも被害者である。むろん、金賢姫は大韓航空機爆破の実行犯としての罪は免れないが……」と解説を加えた。

 拉致事件と大韓航空機爆破事件を核心部分で結びつける背景があるというのだ。

 折から、ベトナムのハノイで東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議(7月20~23日)が開催されていた。会議では、韓国の哨戒艦沈没事件をめぐって米韓日が一致して北朝鮮に対する強硬姿勢をとることがより鮮明になった。

 当然のことながら、金賢姫の来日は、こうした北東アジアの緊張関係の中で語られることになった。

 金賢姫が離日して2日後のTBS「サンデーモーニング」で、国際政治学者の浅井信雄氏は東アジア情勢を「日米韓は、韓国の哨戒艦爆破事件では一貫して結束している。国連を舞台にした北朝鮮非難の決議を出したかったが、北朝鮮の名前も出さない議長声明に終わった。それへの巻き返しとして、米韓が日本海で合同軍事演習をする。そこに日本がオブザーバーとして参加する。意外なのは、ASEAN外相会議で北朝鮮代表団は話し合い路線を表明している。中国は日米韓の動きを警戒している」と分析した。

 さらに「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は、今回の金賢姫の来日は、朝鮮半島情勢の緊張を高め、結果として普天間基地の抑止力を再認識させる作用をもたらしていると発言した。

 大韓航空機爆破事件と韓国哨戒艦沈没事件。これらを結びつけて強硬路線に舵を切るのか、それとも、歴史的な背景を踏まえた対話の道を探るのか、拉致問題はまたもや錯綜する政治の文脈の中に置かれようとしている。そして、冷戦の落とし子である「拉致問題」は、北東アジアの解凍できない冷戦構造の真っ只中にある。

◆まかり通る非歴史的思考

 この間、拉致被害者の会と距離をとってきた元事務局長の蓮池透氏がフジテレビ「ニュースジャパン」のインタビューに答えて、「(今回の金賢姫の招待は)韓国政府と日本政府のある一部の人の利害関係が一致したパフォーマンスだと思う」と述べた。政治を利用しようとして政治に利用される、その逆はないという意味であろう。

 金賢姫が日本を離れた7月23日、朝日新聞の夕刊に蓮池氏の発言が紹介された。7月3日に都内で行われたシンポジウム「拉致と日韓併合100年―いま、どのような対話が可能か?」での講演の一部だ。「悪に対しては交渉するのも許されないとされ、北朝鮮と柔軟に話し合おうという自分のような意見は非国民、売国奴と言われるようになった。家族会を聖域化し、とにかく強硬な姿勢をとれば解決を早められるとミスリードしてきたマスメディアは、家族に見果てぬ夢を与えてしまったという意味でも罪深い」

 白か黒か、敵か味方か、国民か非国民かという乱暴で非歴史的な思考がまかり通っている間は、前述の母親のような微妙だが確かな認識の変化を読み取ることは難しいかもしれない。

 評論家・加藤周一の「夕陽妄語」に「それでもお前は日本人か」という一文(朝日新聞夕刊、2002年6月24日)がある。戦前の日本では国の規格に合わない者は、「非国民」と呼ばれて排除された。加藤は書く、「『それでもお前は日本人か』をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焦土として、崩壊した」。こうしたことはほんとうに昔話になったと言いきれるかどうか。

 今年は、韓国併合から100年の節目の年である。朝鮮学校の授業料無償化、永住外国人の地方参政権の問題などが、東アジア情勢の変化と歴史認識の相違のなかで揺れ動きながら議論されている。

 不思議な4日間が過ぎて、メディアは多数派の大勢順応主義の側に身を委ねるのか、それともわずかな変化の兆しを読み取ろうとする側に立つのか、これから真価が問われることになろう。(「ジャーナリズム」10年9月号掲載)

   ◇

桜井 均(さくらい・ひとし)

元NHKプロデューサー。1946年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。主にNHKスペシャル番組を制作。番組「埋もれたエイズ報告」「東京裁判への道」など。著書に『テレビの自画像』(筑摩書房)、『テレビは戦争をどう描いてきたか』(岩波書店)など。NHK放送文化研究所でアーカイブ研究。立正大学文学部教授、立命館大学、東京大学で客員教授も。

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